悪想念の必要性やその存在意義をも
含めて知らなければ、
単に不必要なものとして排除しようと
してしまうかもしれません。
それでは、根本的な想念の大事さは
もちろん、幸せのありようや
その方向性が明確に捉えきれず、
幸運を招くように向上を図ることも
ままならないでしょう。
悪想念は、学びの智慧とも言えるのです。
人は自らの悪想念を悟って改善を図り、
霊的に成長してゆくにつれ、
やがては悪想念が浮かぶことも
なくなってゆきます。
すべての人が、そのような霊的成長を
果たした暁に、
真の「人類総幸福社会」は訪れます。
御方様方のみ意である人による
「人類総幸福社会」は、人の意識に
悪想念が浮かぶ必要のない、
真に幸せな社会です。
(つづく)
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています