では・・逆に、
どうあれば「受容」となるのでしょうか。
その行為がどうあれ、
「仕方がない」と無理してでも
受け入れることでしょうか?
できることなら無関心を決め込
「気にしないように」
受け流すことでしょうか?
そのどちらでもなく、
受容する想いはとても懐深いのです。
個人的な好き・嫌いに係らず、
個人的見解による正しい・正しくないとか、
良し・悪しなどの審判をせず、
あるがままを客観的に受け止められる想いであり、
悪想念や悪行に対しても肯定(同意)も否定もなく、
”こうあるべき”といった押し付けもなく、
決めつけることもありません。
(つづく)
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています