想念や行為、その善悪の審判や、
それに対する処遇をお決めになるのは、
究極的には御方様方ですから、
私達人がなすことは、
その采配如何については御方様に委ね、
人を裁いている自分や蔑む自分等々、
自らの想念を認知してゆくことでしょう。
日常、人は、
その身に起こる出来事の根本原因が己の想念
にあることに気づかず、
他(ひとやもの、環境など)のせいにして
過ごしていますが、それは、
自己否定の裏返しであり、
自分を在るがままに受け入れられない
ことが原因です。
(つづく)
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