水俣病で苦しんでいた人の話しをTVでやっていた。
もうだいぶ経つが、水俣といえばチッソが思い浮かぶ。
全身の痺れで苦しみ続けチッソを訴えたら、チッソの城下町の為、
回りの人達からも疎外されて、海の汚染で漁業もできなくなってしまった。
苦しい長いときを経て、考えが変わってきたらしい。
「私ら水俣ではここまで苦しめられたけれど”生きるためには”という事を
教えてもらえた、人としてありがたいなと思えるようになった。」
今は汚染の無くなった海で息子さんが新しい船で漁業をされている。
笑わないと人に嫌われるぞ
笑えばみんなが包んでくれる
”笑わんばだめぞ”母の言葉を引き継いで。
感謝できるようになって良かったですね。
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています