責任感

2022年8月29日月曜日

再掲載

認められたいという想いはもちろんあって、それはかなり強い。


それは生活の随所に顔を出す。


想いが癖になっている。

自分が自分を認めてこなかった、受け容れてこなかった結果だろう。


しかし、最初(過去世)はそうだったかもしれないが、

今は、認められたいから仕事を頑張っている訳ではない。


ただただ「そうあるべきという」という強い責任感だけが残っているような感じだ。


やらないと周りに迷惑が掛かる

お客に迷惑が掛かる

お客の意向に沿う為に頑張る


それに縛られているといえば、確かに縛られれている。


それで自分の体を蔑ろにしているから不幸になっている?

それは事実だ。縛られているがゆえに、苦しくなっている。

しかし、それは不要なのだろうか?

社会人、プロとしての責任感?

それで社会が成り立っている部分もあるのではないだろうか?

体を蔑ろにしてまで仕事を頑張るのはおかしい。


天国社会ではどうなのだろうか。

無理はしないだろう。

自身の何かの信条に縛られて不幸になる事は無いだろう。

かといって、適当に仕事をするわけではないだろう。


一人で対処するというのは、少々職人気質を感じる。

プライドだ。そういった傾向がある。

会社なのだから、上手く回りを巻き込んで

一人で向かっていかないようにできれば良いな。


様々に環境を整えて頂き、

それを学ぶ機会を頂いている。


ごめんなさい

ありがとうございます

愛しています


人類総幸福化を願って・・

 。・。;+;☆;+;。。・゚