認められたいという想いはもちろんあって、それはかなり強い。
それは生活の随所に顔を出す。
想いが癖になっている。
自分が自分を認めてこなかった、受け容れてこなかった結果だろう。
しかし、最初(過去世)はそうだったかもしれないが、
今は、認められたいから仕事を頑張っている訳ではない。
ただただ「そうあるべきという」という強い責任感だけが残っているような感じだ。
やらないと周りに迷惑が掛かる
お客に迷惑が掛かる
お客の意向に沿う為に頑張る
それに縛られているといえば、確かに縛られれている。
それで自分の体を蔑ろにしているから不幸になっている?
それは事実だ。縛られているがゆえに、苦しくなっている。
しかし、それは不要なのだろうか?
社会人、プロとしての責任感?
それで社会が成り立っている部分もあるのではないだろうか?
体を蔑ろにしてまで仕事を頑張るのはおかしい。
天国社会ではどうなのだろうか。
無理はしないだろう。
自身の何かの信条に縛られて不幸になる事は無いだろう。
かといって、適当に仕事をするわけではないだろう。
一人で対処するというのは、少々職人気質を感じる。
プライドだ。そういった傾向がある。
会社なのだから、上手く回りを巻き込んで
一人で向かっていかないようにできれば良いな。
様々に環境を整えて頂き、
それを学ぶ機会を頂いている。
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています