ここ最近、
善い想念のプロファイルを読む度に
「決して自分を憎まない」
という一文に引っかかる。
気が利かない自分。
仕事ができない自分。
相手に迷惑をかける自分。
うっかりミスばかりする自分。
・・・そんな場面ばかりが浮かんでくる。
自分を憎むということは
同様な行為をとる他人に対して
憎む気持ちがあるということだ。
人(自他)のそういった行為が
受け容れられない。
受け容れられないと言えば、
相手の気持ちをくまない他人、
相手の立場を無視した、自分本位の行動をする他人、
出来る出来ないの物差しだけで相手を測る他人・・。
そういう人々を受け容れられていない。
つまり
そういう自分を
受け容れられていない。
他人=自分だから。
なぜだろう。
真実の姿とは
違うにも関わらず
「もっと自分はできる、他人に対して思い遣りがあるのだ」
と誤魔化さなければならない程
自分の心の中で抑圧している想いと
対峙することを恐れて、避けている。
「出来ない自分、思い遣りがなく自分本位な自分」
は、自分の抱くセルフイメージと違う。
そんな自分であったら憎い。
“どんな自分であっても決して憎まない。”
どんな自分でも
認め
受け容れる
”イメージ”と”真実の姿”
が一致すること
これが合一(悟り)への
第一歩になるのではないか。
ごめんなさい
ありがとうございます
愛しています